リスクマネジメントに関するノウハウは世の中にあふれている。多くのビジネスパーソンがリスクマネジメントをしっかり施すことで、ビジネスを円滑かつ成功に導けると理解している一方、実行にまで落とせている人は多くないのではないか。そこで、その思考メカニズムを心理学から検証し、人がなぜリスクを正しく評価できないのかについて、コンサルティング企業 steekstok代表の酒井穣(さかい・じょう)氏に話を伺った。
リスク=悪影響の大きさ×発生確率
——ビジネスの現場に限らず、人間が生きていく上では、あらゆることがリスクになります。そこでまずは、そもそもリスクとは何なのかについてお聞かせください。
リスクとは、人間の生命、健康、人間関係も含めた資産などに、望ましくない結果をもたらす可能性のことを言います。よくその大きさのみで表現されがちですが、大きさと発生確率の2軸で考える必要があります。
縦軸に、それが起こってしまった場合の悪影響の大きさ(インパクト)、横軸に発生確率を書きます。
得られるリターンが魅力的な場合、リスクのインパクトも発生確率も少ないとわかれば、そのリスクは迷わず取ります。しかし、いかにリターンが魅力的でも、リスクのインパクトが大きく発生確率も高いのならば、そのリスクは避けるでしょう。
期待されるリターンが魅力的でも悩むのは、インパクトは小さいけれど発生確率が高いものや、インパクトは大きいけれど発生確率は低いもの。
たとえば魅力的な企業への転職のような判断は、転職後の人間関係がうまくいかないといった、インパクトが大きく発生確率が低いリスクがあるからこそ悩むのです。
この悩みをなくすには2つの方法があります。
1つはリスクを事前に防ぐ策を持つこと。たとえば、交通事故に遭って働けなくなるリスクは、発生確率は低くても、起こってしまえば大きなインパクトになります。
この場合、古い自動車から、最新のセンサーがついた自動車に乗り換えれば、事故の発生確率は下げられるかもしれません。しばらく運転をしていないのなら、講習を受講して運転技術を維持すれば、事故の発生確率を下げられるでしょう。
また、家庭内で多様なデジタルデバイスを複数所有するようになった現代社会において、サイバーリスクの発生確率は極めて高いと思います。けれど、最新のセキュリティツールを活用すれば、その確率は下げられますよね。
このように、なんらかの手段を導入することでリスクの発生確率を下げれば、リスクは取りやすくなります。
2つ目は、事後対応(ダメージ・コントロール)策を持つこと。
たとえば、リスクの発生確率を下げるために最新の自動車を買ったとしても、それでも大事故に遭ってしまう可能性はあります。
この場合、保険に入っていれば金銭的なカバーはできると思います。加えて、連続して仕事を休んだ結果、仕事が続けられなくなったとしても、副業で複数の収入源があれば、事後対応にも成功する可能性がありますよね。
リスクを取れるのは鈍感な人か
——ビジネスの現場でリスクを取れる人、取れない人(もしくはより低いリスクを選択する人)の思考や心理には、どのような違いがあるのでしょうか。
リスクを取れる人は、そもそもリスクを感じない、ある意味鈍感な人だったりします。
これは才能である場合と、たまたまうまくいった成功体験による場合があります。逆に、リスクを取れない人は、成功体験が少なく、失敗体験の多い人かもしれません。
人間はそもそも、認知バイアス(統計学的には誤りでも、体験等によりそれを正しいと思い込む力)に支配されています。
たとえば、台風や大雨のとき、氾濫した川や田んぼの様子を見に行ってしまう人は必ずいますよね。
統計的には危険だから、自治体や政府が注意喚起をするものの、過去に何度も見に行って無事だった体験をしていると、「自分だけは安全だ」と思って行ってしまう。こうしたことも、認知バイアスによって発生確率を低く見積もってしまうために起こります。
そして、人間は成功体験が多いと、リスクを間違って評価するようになります。
たとえば、あなたがラーメン屋を開店させたら大繁盛し、続けて2店舗目を出したら、それもうまくいったとします。すると、「3店舗目もうまくいくだろう」と思いませんか?統計で見たら、それは誤りであるにもかかわらず、です。
達成感と無力感とリスクの関係
逆に、やってみて失敗すると、認知バイアスによって「やっても無駄だ」と無力感に陥り、リスクを取らなくなります。
よく日本でリスクを取る人が少ないと言われるのは、減点方式の文化があるからだと思います。減点によって増えてしまった失敗体験は記憶に残るので、認知バイアスによってリスクを取らないようになるのです。
ですから、ビジネスの現場でリスクを取れる人になるなら、成功体験を積めるような目標を会社が設定しないと難しいでしょう。毎回目標を達成していたら、難しい課題を与えられても「できるかもしれない」と考えるようになる。
だけど、毎回達成できない目標だと「自分はできない」という無力感(学習性無力感)に陥ってしまい、結果、リスクは取りません。
ライバルとの心理戦に勝てるか
余談ですが、人間の認知バイアスは競争相手の自信をなくさせる作用もあります。
プロスポーツの世界で、超一流選手が出場する試合では、相手チームの選手の動きが極端に悪くなることがあります。
これは、自分よりすごいと感じさせられる選手(認知バイアスに影響を与えるような選手)が出てくることで萎縮してしまい、自分らしいプレイが封じられるからです。
リスクを取る・取らないは、過去の成功体験や失敗体験の積み重ねによって生まれる、認知バイアス次第。そしてビジネスの世界にも、プロスポーツの世界と同じように、ライバルに自信を持たせないような心理戦があります。
ですから、自分の自信が失われるような、悪い方向の認知バイアスにかかっていないかはよく考える必要があると思いますね。
「根拠のない自信」を鍛える
——認知バイアスによってリスクを取れない人が思考を変えるにはどうしたらいいでしょうか。
ほとんどのビジネス現場で正確にリスク評価はされていないので、自分で良い方向に認知バイアスをかけるのが得策です。あくまでも、その結果として期待されるリターンが魅力的な場合に限りますが。
実際には、世の中のリスクテイカーの多くが「自分ならできる」という認知バイアスにかかっていると思います。いわゆる、「根拠のない自信」を持っているということ。そうした「根拠のない自信」を鍛えるには、小さくても意識して成功体験を積み上げておくことが効果的です。
リスクは自分でコントロール可能
——ビジネスで大きなリターンを得るために、どのようなリスクヘッジが最良だと思われますか?また、どのような思考を持っておくべきでしょうか。
リスクは、自身のあり方によって評価が変わります。
つまり、人によって、リスクの見え方は違うのです。これはとても大事なことなのですが、意外と見落とされるので、注意してください。
たとえば、幅3メートルの深くて大きな穴があったとします。穴の底には上を向いた刃物が多数設置されており、落ちたら命はありません。ですが、これを飛び越えたら、1億円の報酬が得られるとします。
運動不足で、1メートルを飛ぶのもやっとの人にとっては、失敗して落ちる可能性が高く、落ちたら死ぬという大きなインパクトもあるため、たとえ1億円のハイリターンでも、このリスクは取れないでしょう。
一方で、走り幅跳びの選手であれば、落ちる可能性が低いため、このリスクを取る可能性が高い。ただし、ここで注意すべきは、その選手が資産家なら、1億円のリターンのためにそのリスクを取らない可能性もあること。
リスクを取る場合、あくまでもリターンが自分にとって魅力的であるのが前提で、その上で「自分ならやれる」と感じることが条件になります。
「自分ならやれる」という感覚は、日々の努力などによって変わります。つまり、リスクの大きさも発生確率も、本当は自分でコントロールが可能なのです。
ビジネスの場合であれば、とにかく勉強することです。勉強して経験を重ねていたら、穴を前にした走り幅跳びの選手のように、そのリスクは小さく見えますし、リスクをリスクだと感じなくなる可能性もあります。
そもそも、取らなくて済むならリスクなど取らないほうが良いのです。
ですから、できるだけ無駄なリスクを取らないよう、リターンの価値を相対的に下げることも大切。結局のところ、自分は幸せだと満足していると、そうそうリスクは取らないものです。
人は、人のために犠牲になれる
——それ以外にリスクを取れるようになる方法はありますか?
ここまでの話とは筋が異なりますが、生物学の世界には「ハミルトン則(血縁選択仮説)」という有名な法則があります。生物はリスクの大小にかかわらず、自己犠牲的に動くことがあるという生物の利他性に関する法則です。
イギリスの進化生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンは、利他的な行動によって他者が得る利益(benefit)をb、利他的な行動によって失う自身のコスト(cost)をC、自分と他者の血縁の度合い(relatedness)をrとしたとき、C < rbであることを示しました。
これは、相手が得る利益(回避できる危機)が大きいとき、相手のためにかなりの程度まで自分を犠牲にできるということ。どうでもよいことの犠牲になるのは嫌でも、相手にとって本当に重要なことであれば、犠牲を払えるのです。
また、その相手が自分と血縁の度合いが高い場合、私たちは、自己犠牲的に頑張れます。血縁が濃い自分の子どもに、死の危険が迫っている場合、親は自分の命ですら差出すでしょう。逆にいうと、血縁が薄い相手の場合は、それほど自己犠牲的には動けません。
「人類みな兄弟」
ただ、ここで面白いのが、人間は自分と相手の血縁の距離を正確には把握できないということ。
7万年前の氷河期時代、地球上の人口は2000人程度にまで減ったといわれています。寿命が長い人類の場合、7万年前の2000人を共有しているということは「人類みな兄弟」と言って差し支えない。ですから、人類は誰に対してもハミルトン則を発揮できる可能性があるのです。
先の東日本大震災では、多くの人がリスクを取って、ボランティアに駆けつけました。これは、人間はリターンが期待できなくても、リスクを取れる証明でもあります。
他者のことを大事だと感じる成功体験があって、他者が困っていると知ったら、自然とリスクを取れるのが人間。優れたリーダーとされる人々は、そもそも地球の裏側まで含めて自分の血縁だと感じていて、地球規模でハミルトン則を発揮することができるリスクテイカーだと考えるのが自然なのかもしれませんね。
リスクを取れないのは経営者の責任
よく、従業員がリスクを取らないと嘆く経営者に会うことがありますが、それは、優れたビジョンを示せていない経営者の責任でもあるのです。
経営者が本当に意味のあるビジョン(大義)を示せれば、従業員もリスクを取るようになります。
意味あるビジョンを実現させるための、価値ある仕事、誰かの助けになるような仕事を生み出すことこそ、保守本流。テクニックとしてのリスク管理にばかり目を向けていると、大元で間違う可能性もあります。
マイノリティが、今後の生き方
——リスクを正しく評価できるようになることで、ビジネスパーソンとして、一人の人間として、未来はどう変わるでしょうか。
人類には生存のために獲得した「群れのルール」が本能として備わっています。これは、衝突を避ける、中心に向かう、周囲と同じ速度を守る、という3つで構成されています。
何も考えなくても「群れのルール」に従うだけで生きられた時代には、自分でリスクの判断をする必要などありませんでした。しかしこれからは、周囲とは異なる動きを自分で考えて実行する必要があります。
ちょうど、イワシの群れの中心に向かって、クジラが大きな口を開けて迫っているような状況をイメージしてください。それでもなお、自分の未来を「群れのルール」に任せるのは間違いでしょう。こうしたマジョリティの意見が信頼できない時代には「群れのルール」に従わず、自分で考えて判断するマイノリティになる必要があるのです。
これまで「群れのルール」に従って生きてきた人が、マイノリティの感覚をつかむには、外国で暮らしてみるのが効果的です。外国では、日本とは「群れのルール」が異なりますから、嫌でもマイノリティになります。
マイノリティとして生きることの厳しさや情けなさを体験しつつも、自分で考えて行動できるようになれば、リスクの評価に関する行動も変化するはずです。
かつての日本には、いい大学を出て有名な企業に就職をすれば成功するという「群れのルール」が通用していました。しかし、それはもはや通用しません。マイノリティとして他者とは違う人生を選択する、すなわち「自分の頭で考えて生きる」という難しい時代に突入しているのです。
大切なのは、それぞれのリターンとリスクを自分で正しく評価すること。リスクを取った結果得られるリターンが、本当にリスクを取るに値するものなのか。認知バイアスは働いていないか。それを自ら考えて判断し、自らの努力でリスクの発生確率とインパクトを下げていくことが大切です。